すいの闘病記録とこれまで/病気平癒と神社参拝の本当の理由

すい 自己紹介
すい

今回は神社参拝を始めたきっかけやブログを書こうと思い立った個人的な考えについて皆さんに知ってもらいたく記事にしました。
私には持病があります。ですがその事は触れずに神社好きのブロガーとして皆様に紹介していこう、ということも考えました。神社や御朱印は大好きなのでそれを皆さんと共有するだけでも十分楽しいかなと考えたりもしました。しかし私は持病があったからこそ神社を好きになった今の自分があることにも気が付きました。
悩んだ末に、自分の体験談や同じような境遇にある人に対して少しでも私の記事でお役に立てたらと思い、自らの事を打ち明ける決心をしました。

闘病生活の始まり

私は先天性の胆道閉鎖症でした。
胆道閉鎖症というのは肝臓と十二指腸をつなぐ胆管が炎症で破壊されて、胆管を流れる胆汁がうっ滞するというものです。
その症状としては黄疸や、脾臓の腫れ、灰白色便、オレンジ色の尿などがあります。
全体的にも、消化吸収を助ける胆汁が流れてこない状態なので栄養障害や出血傾向、もちろん肝臓の機能も悪いです。
これが私の出生時の状況でした。

胆管破壊の機序は未だに不明であり日本においては難病指定されています。
統計では1万人に1人程度とされています。

葛西手術(肝門部空腸吻合術)

出生直後はすぐに死亡する確率が高かったので、急遽大学病院で葛西手術を受けさせてもらえることになりました。
葛西手術とは、肝臓と腸管を直接つないで胆汁を流すことで胆道閉鎖症を治療するというものです。これは根本治療になりうるもので今となっては世界中で行われています。

術後の予後は半分程度の確率でした。私は良好には傾かず黄疸が消失せず再発。
それでも薬の服用で、小学生までは順調とは言えない状況でしたがなんとか成長出来ました。

この頃は医療や病の事なんてこれっぽっちも分からず、自分の肝臓は悪いんだな。苦い薬を毎日飲まないといけなくて嫌だな。なんでだろう。通院も毎月のようにいかないといけないし痛いし。とその程度の感覚でした。

生体肝移植

その時は突然でした。小学生の頃です。
私が家族と夜に外出しているときの事でした。

少し気分が悪くて吐き気がするな、と思った直後に急な便意に襲われめまいや気分の悪さもピークに達しました。なんとかトイレに駆け込みましたが、便器に流れ出たものは「赤い水」。
言葉が出ませんでした。小学生ながら、死を直感しました。早く家族に助けを求めようにも足はフラフラで思うように歩けません。早くしないと。その思いだけで壁や物につかまり寄りかかりながら、家族のもとまで戻っていくことが出来ました。

家族は戻った私の青白い顔をみて血相を変え、すぐに状況を確認して病院へ運んでくれました。
そこから私の記憶はありません。
今振り返れば、あれは食道静脈瘤破裂による下血と気分不良、血圧低下による諸々の随伴症状だった事が分かります。

気が付けば私はベットの上で白い天井が目に映っていました。
近くに知っている者はいなく声を出そうにもうまく出ない。体も思うように動かない。体の周りは管だらけで白一面の世界。煩わしい無機質な機械音だけがなっている。いわゆるICU(集中治療室)にいました。


幼少期から入退院を繰り返す事が多かった私は、手元に握らされているものがナースコールだとようやく分かると力いっぱいそれを押した記憶が鮮明に残っています。
看護師さんが家族を連れて近くまで来てくれました。会えた時の安心感とその場面は写真を切り取っただけのような記憶しか残っていません。
後々、その時の状況を家族に聞くと私は会った時に黄色い涙を流していたと言っていました。

私が意識を失ってからはすぐに病院へ搬送され、緊急手術となったそうです。
状態としては『肝硬変』で肝臓が固くなっており、その影響で食道静脈瘤や肝臓への栄養血管が十分に機能しない、肝臓の機能低下などの症状が出てきていたようでした。
緊急手術には肝移植が必要でした。ひっ迫した時間の中で、家族の検査が行われ運よく適合したため家族がドナーとなる『生体肝移植』が行われました。
手術は無事成功。一命を取り留めました。

術後はかなり辛く、痛い、苦しい、しんどい、はもちろんですがお腹の水が漏れ出てきたり、発熱を繰り返すなど順当な経過とは言えませんでしたが、なんとか1年程度の入院を終え自宅退院にまで返り咲くことが出来ました。

ここまでが小学生で経験した事です。
移植後は自分の免疫をあえて抑える免疫抑制剤というものを一生飲み続けないといけません。なぜなら自分の身体に入っている肝臓は自分の物ではない為、体が異物と判断して攻撃してしまうからです。拒絶反応と言われるものです。
そのため、感染症にかかりやすく、ちょっとした風邪でも引こうものならすぐに重症化するといった生活を余儀なくされます。さらには術式の影響で胆管に菌が入り込みやすく、胆管炎という感染を繰り返すことの多い生活が始まりました。

小学生で1年間休んだことによる弊害も大きかったですが、
長くなりますので、いつかまたその当時の話も記事にするかもしれません。

脾臓摘出

あれから定期的に通院も継続していましたが問題は次から次へと起こってくるようで。

中学生の頃の話です。
脾臓という血液や免疫などを管轄している部署(臓器)があるのですが、その脾臓が徐々に腫れて来ていることがわかりました。もとが肝硬変だったためその影響で脾臓が腫れて拡大していたことも大きく関係していますが、それが今後は少しずつ拡大して行っているという事態になっているのです。もともと少し腫れてはいましたが、ついに行動制限がかかるまで大きくなってきました。

簡単に言うと、自転車等に乗って転んでお腹に軽い衝撃でも受けようものなら、脾臓が大破裂。
緊急手術になります。という事です。かなり気を遣って生活していました。文字通り爆弾を背負っているような感覚
でシンプルに恐怖でした。

こんな状態を脾腫と呼ぶのですが定期通院で、拡大してきている事も踏まえ脾臓を摘出する手術をしようという事になりました。前回は何がどうなっているか分からないままの手術だったので、考える余地もありませんでした。しかし以前と違い今回は予定しての入院と手術だったし医師から説明されれば理解できる年齢だったのですべてが怖かったです。けれど選択の余地など私にはないため、そうせざるを得ませんでした。

普段の生活から切り離される苦しみも痛みも、早く学校へ行きたいという気持ちも。なにより家族が疲弊していっている姿をみている私の気持ちも。
普通の生活とは?なんで私ばかり?私ばかりなんて思うな。周りはどうか?私以上に辛く苦しんでいる人なんてごまんといて、自分だけ特別不幸だなんて思ってはいけない。今までの入院生活で、長らく自宅に帰れていない中学生も、一般の学校へは通う事の出来なくなった高校生も、助からない小学生も、私は見てきてその人たちの事を知っている。みんな優しかった。そしてそれを懸命に支えている親御さんたち家族も。そんな人たちは強くて私なんかでは、苦しみや痛みも推し量れないし耐えられないだろうけど。それでも私だって比にはならないかもしれないけど、辛い。そう思うことは正直多かった。
私では考えられないような辛さの中で戦っていた同室の友達が優しく、辛い時でも私の前では気丈に振舞ってくれて勇気を与えてくれたから、少しだけ頑張ろうと思えた。今は前だけ見ればいい。周りに心配をかけるな。私のせいで家族が不幸になっている。負担もかけている、元気にふるまえ。安心させろ。

書ききれないほどの気持ちや表しきれない想いがぐるぐると私の中を回っていました。

それでもアニメや漫画のように順当には行かず。
予定していた入院期間よりも大幅に伸び、約半年入院生活を送りました。
解熱剤を使っても一向に下がらない高熱、肺に穴まで空くような事態になるなどイレギュラーは多く濃い半年間でした。

無事に脾臓摘出も済み状態も何とか落ち着いて退院に至りました。
復学後も苦悩は多かったですが、書ききれないのでまたの機会に。

肝硬変と再移植の可能性

そんな私も幸いなことに社会人になることができました。
人の役に立つ仕事に就けたので天職だと思い頑張って働いていました。

仕事に必要なスキルの勉強をする事も好きでたくさん勉強していい同僚にも恵まれていました。
長くなってしまうのでここでは割愛しますが、諸々の理由で何度か転職もしました。
しかし自分の中では普通に仕事へ行けて、家で眠れて、ご飯も食べられて、少ないですが友達までできて、最高に上手くいっているように感じていました。

平凡な生活というものに、どれほどの幸福が詰まっているかをこれ以上なく実感できて、恥ずかしい話かもしれませんが涙を流すことは今でもあります。

ですが一時、ひどく落ち込んだ時期があり自虐的に仕事に打ち込み毎日を自らオーバーワークまで追い込んでしまいました。
それが契機となり、体調は悪化。足とお腹と肺に水が溜まり体中がパンパンに腫れ上がりました。
体のだるさと息苦しさで仕事もできない状態だったため即入院。精密検査をたくさん受けましたが結果は原因不明。
自分を恨みました。せっかく救ってもらった命になんてバカなことをしたのだろうと。主治医に聞いても頭をひねるだけで、一言「近い将来、再移植も視野に入れないといけないかもしれない」と。絶望でした。もう戻れない、自分にとって楽しかったあの生活に戻るどころか、原因が分からないのであればこのまま寝たきりになって苦しい思いをして死んでしまう可能性だって十分にある。もう家族に迷惑なんて二度と掛けたくない。自分で絞めた首をこれほど悔いたことは初めてで、まさに崖から突き落とされた気分でした。

根本の治療ではないですが、症状に対する一時的な緩和としての薬が処方されました。それを飲み続けて1か月程度でなんとか歩けるようにはなりました。治療方法もないため退院となりましたが、それからは必死でした。なんとかならないか、まだ生きたい、けど原因が分からないから自分ができることは何なのかも分からない。医師たちも分からないのに私が考えて分かるわけがない。そう思いながらも考えて調べてヒントを探すことをやめられませんでした。

もともと少食だったのですが、私は自分なりに栄養状態が関係していると考え必死に栄養学について学び考え、食事が美味しく楽しいという感情が薄れるほど努力して食べ、栄養価の高い物だけを選りすぐり胃の中に入れました。他にも適度な運動や十分な睡眠・休息、服薬の徹底、水分管理、体調記録、基本的で簡単なことでも自分にとって必要だと感じたらなんでもしました。

定期受診の日、血液結果を心待ちにしました。仕事もできずに自分の身体だけに全神経を向けて努力してきて自分なりにかなり頑張った数か月だったと思います。
結果は、退院時とほぼ変わらず。もう精神的に限界でした。なにか糸が千切れたような感覚とはこのことを言うのかと実感しました。もう何もする気が起きない。悲しくもない、でも涙は出る。トイレも歩いていけない。鬱でした。

家族の支えと神社との出会い

それから数か月はひどいものでした。
いろいろと試して努力していた私を家族は見ていたので、廃人のようになってしまった私じゃないような私を家族は懸命に支えてくれました。私がやっていたことを引き継いでくれるように、けれど無理はさせないようにと、身の回りのことまで全てしてくれていました。

その甲斐あって私は少しずつですがなんとか自分を取り戻し、諦めるにはまだ早い。と思えるようになりました。まだなんとかなる、なんとかしてみせる、自分だけは最後まで諦めてはいけないと鼓舞して前だけを見る事にしました。

次の受診までには、きっと少しでも良くなって。さらに次の受診までにはもっと良くなって。と。
上手くは行きませんでした。いつまで経っても横ばい。正直、何度も折れかけました。

そんなある日、私はふと神社へ行こうと思うことがあったのです。思うことがあったというほど、何かきっかけがあったというわけではなく、自然と頭に浮かんできたので自分でも不思議なほどでした。普段、神社などに訪れる習慣はなく、さほど詳しくもなかったのですが一度頭に浮かぶと離れず、家族に相談して連れて行ってもらいました。今になって思えば、必死でどうしようもなかった私が文字通り神にも縋る想いで生活していたため導いてもらった、脳裏によぎってくれたんだと考えています。

連れて行ってもらった神社はとても不思議な感じでした。気の問題かもしれませんが、体が軽いというか、空気が透き通っているというか、とにかく私にとってその感覚は表しにくいほど何か心地よいものを感じました。その神社は病気平癒に霊験あらたかな神社だったようで、そこで初めて少彦名命を知るきっかけになりました。

それほど遠くはないですが退院してからの外出は久々で、行った先で神秘的な空気に触れ神社の素晴らしさを感じました。ここに来たら気持ちが軽くなる。そう感じたのは確実で、私はさらに神社に関心を持つようになりました。私は初めて行った神社で、神社巡りの事・御朱印の事・神話に基づいたご利益のある神社があることを知ることになります。

ここから私のリハビリを兼ねた神社巡りが始まりました。
自宅では神社や神話、病気平癒の事について調べ、学んで、少し体調の良い日は参拝へ行く。といったことを自宅療養生活の中に取り込み日々を送っていました。

回復の兆しと、神社参拝のある生活

そんな生活を送ってしばらく経ち、ある定期受診の日に奇跡が起こりました。

原因は不明のままですが、血液検査のデータがほんの少し改善しているのです。
嬉しさか安堵か涙が出ました。
次も、その次もほんの少しづつ。亀ほどの改善速度ですが少しづつ前へ進んでいるのです。
ほんとうに諦めなくてよかった。家族が献身的にしてくれたおかげでよかった。神社へ連れってくれて前を向く力をもらえてよかった。たくさんの気持ちが抑えきれませんでした。

症状も少しづつ落ち着いてきて何とか主治医が軽微な作業であれば復職しても良いと許可が出るほどまでに前進してきました。
ようやく復職に至り、神社の参拝を続けながらも今の生活に至ります。

これからは家族にもっと感謝して私は絶対に無理をしないよう心に決めて今日も参拝をしています。

神社をメインとした発信/すいの大切だと思うこと

私は、自分の経験を通じて少しでも人の役に立てたらと思い記事を書いています。
私は持病がきっかけで神社と出会いましたが、神社に興味がある人や、同じような境遇で辛い想いをしている人になにか掛けられる言葉や、力になれる・役立つ情報を発信していきたいと思っています。

私は自身の経験を通じて、いつもの日々が急に、いつもじゃなくなることを、転落して行く事を知っています。今も全く健康な人のようにはいきませんが、これが私の生活の幸せであり今を満足しています。ないものに目を向けて落ち込むより、あるものを見て小さくてもその楽しさや嬉しさを大きくできる事を知っています。

まだまだこの記事で書いていないこと、書ききれないことはありますが、
私が経験や神社を通して大切だと思うことは「日々の生活への感謝」という事です。
私の場合は家族が支えてくれましたが、それは必ずしも家族や人である必要はないと思うのです。

まだまだ私もこの先がどうなるかわからず不安は大きいですが、精一杯生きた証を、この記事を見てくれている誰かのために残していきたいと思っています。


まとめ/このブログで伝えたいこと

御朱印や歴史に惹かれて神社を訪れる人も多いと思います。
私の場合はそこに加えて、病気と向き合ってきた日々の中で、神社が大きな心の拠り所になってきました。

境内で風に吹かれながら手を合わせると、「これからも前を向いていこう」と思える。
御朱印をいただくと、「今日ここまで来られた」という確かな証になる。
私にとって神社は、心身を支える大切な存在です。

このブログは、そんな私の背景から始まりました。
同じように病気や不安を抱えている方にとって、神社参拝が心の拠り所になるきっかけになれば。
そう願って記事を書き続けています。

御朱印と病気平癒|神社めぐり記
全国の病気平癒の神社を巡るリハビリ記録 byすい
すい

病気平癒を願い、全国の神社を巡る医療職ブロガー「すい」です。
参拝のマナーや御朱印、神社の魅力を紹介しながら、持病と向き合い
リハビリを続けています。神様に癒やされる旅を、あなたと共有したい。

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