「無理せず頑張ってね。」
この言葉を聞いたとき、あなたはどんな気持ちになりますか?
すいは、この言葉にどうしても違和感を覚えてしまいます。
「頑張る」ことは、結局「無理をする」ことと同じなのではないのか?
もしそうなら、「無理せず頑張る」という言葉は成立しないのではないか。
優しい言葉のはずなのに、どこか矛盾を抱えているように感じるのです。
頑張る=無理をする
すいの考えを率直に書きます。
- 頑張る=努力する
- 努力する=エネルギーを使う
- エネルギーを使う=消耗する
- 消耗する=少なからず無理を含む
この流れをたどれば、「頑張る」こと自体が無理をすることだと言えます。
だから「無理せず頑張ってね」と言われると、私は「そんなこと不可能じゃないか」と思ってしまうのです。

別の見方:無理には二つの顔がある?
もちろん、違う見方もあるでしょう。
「頑張る=無理をする」は確かにそうだとしても、その無理は必ずしも悪いものではない。
無理には「消耗で終わる無理」と「成長に変わる無理」がある。
例えば筋トレ。筋肉は一度壊れて消耗するけれど、その後修復され、以前よりも強くなる。
つまり「無理」は時に成長のきっかけにもなるのです。
この視点に立つと、「無理せず頑張ってね」は「壊れる無理は避けて、成長につながる無理をしてね」という優しさを含んでいるのかもしれません。
すいの体験:それでも無理は無理
ただ、すいはやはり「無理をしない頑張りは存在しない」と思います。
持病で体調が悪い時期、私は無理をして神社参拝を続けました。
体への負担は大きく、リスクもありました。
けれど、その「無理」の積み重ねが
- 神社参拝という運動習慣
- 御朱印をいただく達成感
- 神話や神社の魅力と出会い、ブログやSNSへつながった
振り返れば、「無理が成長に化けた瞬間」でした。
でもそれは「無理を避けた」結果ではなく、「無理をしたから得られた」ものだったのです。
無理の境界線を引くために
では、どこまでが「許せる無理」で、どこからが「許せない無理」なのでしょうか。
すいは、個人的にこのような判断基準で考えています。
無理の境界線チェックリスト
- 翌日に疲れが残ってないか?
- 「やってよかった」と思えるか?
- 繰り返しても壊れないか?
- 生活の基盤(睡眠・食事・人間関係)を犠牲にしてないか?
この4つに「YES」と答えられるなら、それは「許せる無理」。
逆に「NO」が多いときは、「自分を壊す無理」です。
すいなりの答え
すいの結論はシンプルです。
「頑張る」ことには、必ず無理が含まれる。
避けることはできません。
けれど、その無理が「壊す無理」か「育てる無理」かを見極めることが大切なのではないか。
すいはこれからも「許せる無理」と「許せない無理」の境界線を意識しながら、自分の行動を考えて行きたいと思っています。

皆さんへの問いかけ
最後に、この問いを見てくれている読者の人に投げかけたいです。
- あなたにとって「許せる無理」とはどこまででしょうか?
- 「無理せず頑張ってね」という言葉を、あなたはどう受け止めますか?
それぞれの答えは違っていて当然です。
だからこそ、一度立ち止まって「自分の境界線」を考えることに意味があると思うのです。
まとめ
- 「頑張る」ことには必ず無理が含まれる
- 無理には「壊す無理」と「育てる無理」がある
- 自分にとっての「許せる無理」を見極めることが大切

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